「素直になれなくて」問題のシマオオ的まとめ

ツイッターというのは、もともと開かれたコミュニティで、今でもそういう面はもちろんあるんだけれども、ここが一番落ち着くという人も出てくるくらいに人気のある場所になっていた。SNSはそれくれいにならないと、人気が出てきたことにはならない。多少の中毒性は必要なので、これ自体はまったく問題じゃない。

さて、しばらく前からこのツイッターがやたらマスコミでもてはやされ始めた。もてはやされ始めたごく最初の頃は以前からのユーザーもなんとなく先駆者として気持ちいい感じだったわけだけれども、マスコミでの広がり方が予想していたよりも早かったもので、ユーザーは「あれっあれっ」と少しずつ混乱し始めていた。

どのように混乱していたかというと「自分の安住の地がおかされる」という混乱。そして混乱は徐々に不安に変わる。もちろん全員がそう思っていたわけではないが、決して少なくない人々がそのように考えていた可能性はかなり高い。

そんな風に不安やら混乱やらが生じていたところへ満を持してツイッタードラマがやってきた。それに対しては、二つの反応があった。一つは「いよいよツイッターがここまできた!」という、ドラマに出るとはあいつも出世したものだという意見。もう一つは「また色ものあつかいするんでしょ?」という意見。どうせ電車男みたいな感じにされるに決まってる、みたいな斜めな感想。

やがていよいよドラマが始まったが、そこに出てくるのは確かにツイッターだった。ツイッターだったけど、なーんか違う。「ツイッター風のなにか」か、あるいは、「なにか風のツイッター」だった。なぜそんなことになったかといえば、実に理由は簡単で、脚本家がツイッターを面白いと感じていなかったから。興味がないので、脚本家にしてみればツイッターを面白いものとして描く必要はない。そして荘思っているから、いまいち特徴がつかめてないままにスタートしてしまった。

この時点ですでにツイッターラバーズからはイライラを集めていたが、おまけに「ツイッターで知り合う⇒実際に会う⇒セックスする」という場面も描かれたものだからさあたいへん。知識のない人からすると「ああ、ツイッターって、出会い系のやつなのね」と考える人もちらほら現れた。ツイッターに興味がない人なら「ふーん」で済む話だが、ツイッターを愛している人たちからしたらたまらない。どかーんと大噴火した。

で、腹を立てたツイッターユーザーが何をしたかというと、脚本家に文句を言った。

こういうときにツイッターというのはとても便利なツールで、相手が大企業の社長だったり、有名な歌手だったり、漫画家だったりしても、フラットな立場(よりも強い匿名の立場)から話しかけられる。さて、今回の場合も都合よく脚本家のツイッターアカウントがあったから、テメーナメンナの一斉攻撃が、一部のツイッターユーザーから仕掛けられた。

脚本家はもともとツイッターに興味がないし、ツイッターを愛している人のことも好きじゃない。ツイッターユーザーの方でも、勝手にやってきやがって勝手にネタにして、しかも自分たちにとって決して面白くないドラマを作られて、と腹を立てている。もめないわけはないだろう、と誰もが思っていたら、やっぱりもめた。

そして、さらに問題だったのは、このドラマが無駄に空気を読んでしまって、傑作っ!というほどのレベルではなく、まあ力作?ぐらいの内容だった。他を圧倒するほどに面白いドラマなら、問題はシンプルにできたかもしれないんだけれどもそこまでではなかったもんだから、やいのやいのの大騒ぎ・・・っていうのが最近の流れですね。


とても面白いと思います。
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